有馬記念の有力馬情報と、有馬記念の由来や中央競馬の歴史、売上げ情報
▼ 有馬記念について
有馬記念の名前の由来や中央競馬の歴史
1年最後の有馬記念について
有馬記念は中央競馬の1年を締めくくるレースとして定着し、現在に至っている伝統のレース、有馬記念の名前の由来や、中央競馬の歴史、売上げなどを少し解説したいと思う。
さて12月になると「師走の気配」が近付いてきた。とカッコつけて言ったりするが、競馬で「師走」と言えば「有馬記念」だろう。競馬歴の長い人は、その「有馬記念」という名前の由来をご存じの方もいるかと思うけど、この機会にその「由来」について先ず解説したいと思う。有馬記念の歴史の名称の由来
昭和30年(1955年)まで暮れの中山競馬では「中山大障害」が呼び物だった。
東京競馬場で行われるダービーなどと比べると見劣りするということから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧(ありま よりやす)が、中山競馬場の新スタンド竣工のタイミングで、ダービーに負けないくらいの「華やかなレースを中山競馬場で開催しよう」という号令を発した。
当時では他に例のない「ファン投票によって出走馬を選出する」という斬新な案が採用され、昭和31年(1956年)に「中山グランプリ」という名前で第一回目を迎えた。
ところが、第一回「中山グランプリ」の成功の翌年に、創設者の有馬頼寧理事が急性肺炎のため急死したため(…と言っても72歳だから当時では長寿)、その成功と有馬頼寧の功績を称えて第二回から「有馬記念」と名前を変更され施行されるようになったのだ。↑有馬記念」の名前の元となった人。
そして偶然にも有馬頼寧理事の苗字に「馬」の字が入っていたこともこの「有馬記念」が多くのファンに馴染んだ要因とも言えるのではないだろうか。
また、数多いGⅠレースの中でもこれだけ長い間「施行場」「施行時期」とも変わらずに行われているということで、現在では年を積み重ねるごとに伝統も重ねられるレースとなっている。有馬記念の有名エピソード
有馬記念での有名なエピソード
有馬記念での「有名なエピソード」をひとつ。
それは「有馬記念の売上げ」だ。
平成8年(1996年)に行われた有馬記念は、
1レースの売り上げが875億円に達した。
これは日本競馬史上最高額であるだけでなく、世界競馬史上でも最高で、ギネスブックにも認定されている。
この年(1996年)のダービーの売り上げが475億円超で、有馬記念の約半分ならば有馬頼寧理事の「ダービーに負けない華やかなレースを中山で」という悲願は達成されたと言えるだろう。
ただその後は平成8年をピークに売り上げは減少傾向を辿り、2011年に発生した東日本大震災と相まって2012年は333億円まで下がってしまった。
そこから緩やかに上昇傾向を示し、ここ10年は400億円台で推移している。
同様にダービーの売り上げも200億円台で推移しており、現在では
有馬記念>ダービー
という売り上げの図式は重ねられた歴史とともに変えられない不文律となった。
今ではどの競馬予想サイトも「有馬記念」にかけて年末のキャンペーンを打ったりしてるけど、個人的にはキャンペーンより通常コースの方がいいと思いますw
2/16に提供された「登竜門」という150ptコースでは、小倉9Rにて512.6倍を、わずか18点で的中させた。1点500円という控えめな推奨金額ながら、合計で25万 6300円となった。
1/15の無料予想には負けたが、 今回の18点で的中させたこの結果も、十分に優れた成績と言えるだろう。…「馬券茶屋」は買い目の見解こそ掲載されていないものの、現時点での回収率は悪くないので、「優良評価」に値すると判断している。